ちょっと重いテーマ

午前中NHK BSハイビジョンをつけていることが多く
時には世界遺産とか時には有名なオリンピックコーチの話とか
見るでもなく流しています。
今日は作家の柳田邦夫氏の何年か前のインタビュー番組でした。
柳田邦夫氏の『犠牲』という著書の話で
同氏の次男が自ら命を絶ち、脳死の11日間のノンフィクションから
同氏の死生観や人生観が語られていました。
私は何年か前に古本屋で手に取り、この本を読んでいたので
番組も興味深いものでした。
私自身、常日頃、生きることはどういうことか
死ぬということはどういうことだろうと考えます。
特に親と離れて暮らすようになった20歳のころから
そういうことをよく考えます。
やがて誰しも死を迎える人間が何万年か何億年の地球の歴史の中で
たった100年足らず、生をうけて自分という存在がある意味を考えることがあります。
最近、自分が感じるその意味を柳田邦夫氏も同じく感じていることがわかり、
自分ととても似ている感覚の人だと思いました。
私は親の死とか自分の死に対する恐怖、死とは無くなることであり
亡くなることであるという恐怖がありました。
柳田氏も言い自分でも最近感じることは
人(親であり子供であり自分の周りの人)は亡くなっても、自分の中で生き続けるということ、
そして自分が死んでも誰かの中に生き続けるということ。
人は誰かに対して何らかの影響を与えて、その行動や思考にも影響を与えていくということです。
そうすると自分という生きる存在がなくなっても
自分は永遠に誰かの中に生き続けていくことになります。
自分を直接知らない世代になっても、生き続けていけることになります。
肉体の死があっても精神は誰かの中に生き続けられるということです。
柳田邦夫氏は亡くなった息子が自分にそれでいいのかと問いかけると言います。
亡くなった息子は自分の中で生きていて、自分もまた誰かの中に生き続けると。
この考えが仏教とか宗教とかに由来するのかしないのかさえ分からないくらいの
無神論者であり無宗教の自分ですが、
生きる意味を自分なりに考えて、こう結論つけつつあり、
気持ちがとても平穏になれます。


昨日、癌で長く闘病していた夫の大学時代の親友の訃報をうけ
一人息子だった夫の友人のご両親のことを考えると
どんなに悲しんでおられるだろうと思います。
でも、夫の中にもその妻である私の中にも、
私たちが育てている子供の中にも彼という精神は生き続けます。
安らかにお眠りください。