三月がさる

今月も残すとこあと一日。
早すぎる時間の経過に盛りだくさんの三月を振り返ってみました。


3月11日
娘の卒業式・謝恩会がありました。
卒業式では誰も泣かなかったのですが、謝恩会では涙ぐむ子も。
私は夫からビデオ撮影をしてくるよう厳命されていたので、
腕の感覚がなくなるくらい、ひたすらビデオを回し続けました。
恩師や来賓の祝辞、奏楽など、後から何度聴いてもいいものです。感動します。
現在、やっと編集作業が進みDVD制作をしています。
希望の方(G高関係者限定)は連絡いただければと思います。


3月12日
東京のお母さんが原宿の美容室に娘と私を連れて行ってくださいました。
すみません、お店の名前を覚えていません。
(追記 後日ハガキがきて店名 Innocentとわかりました)
フルーティストの藤井香織さん(お嬢さん)やギタリストの大萩康司さんの
日本滞在中の行きつけのお店だそうです。
私はヘッドスパなるもの、娘はハイライトを入れたヘアカラーをしていただきました。
東京のお母さん、ありがとうございました。
美容室の後は新宿京王デパートのレストラン街で美味しいうどんをご馳走になりました。


3月13日〜発表編
大学の合格発表が13時からありました。
娘は母とは別行動で午前中に部屋を出ました。
母は学生会館で連絡を待とうか迷いましたが、12時半ころ出かけました。
大学の最寄りの駅を降りたころは、ドキドキで心臓が口から出そうでした。
そこで娘の同級生とお母さんが歩いているのを発見!一緒に大学まで歩きました。
娘に置いて行かれたと話すと、「○○さんらしいな。」とのことで、
高校でも娘はクールなキャラだったようです。
大学正門前に13時少し前に着きましたが、正門が閉じられているため、
歩道に長蛇の列ができていました。
13時ちょうどに正門が開いて、人の列がドーと大学構内に流れ込み
そのあと、ウォー、キャーと大歓声が聞こえてきました。
その大歓声を聞きながらも、まだ発表の掲示板に近づけないでいました。
娘が私を見つけて「受かった!」と教えてくれました。
そして何人か娘の同級生のお母さんたちと
お互いの子供の合格を喜びあいました。
しかし、ここで問題が!
合格者は受験票と引き換えに入学手続きの書類をもらわなくてはなりません。
娘は部屋に受験票を忘れてきたというので、取りに戻ることに。
締め切りが15時ということで、タクシーで大学と学生会館を往復しました。
なにはともあれ、合格したことでやっとホッとしました。


3月13日〜コンサート編
夜は代々木で藤井一男先生が主催する東京セレーノクラリネットオーケストラの
コンサートを娘と聴きに行きました。
先生、奥様、同門の先輩たちから合格のお祝いの言葉をたくさん頂き、
先輩たちの素晴らしいクラリネットの音に酔いしれながら
幸せな時間を過ごしました。
私がお誘いして、qupqupさんとkamo_negitoroさんも一緒にコンサートを聴きました。
お二人は娘の定期演奏会にも足を運んで下さっていて、
この日は合格のお祝いにボールペンを娘に頂きました。ありがとうございます。


3月13日〜入学書類の多さにてんてこ舞い編
合格発表、入学書類を受け取り、代々木の国立オリンピック記念総合センターに
まっすぐ向かい、リハーサルから会場に呼ばれて夕飯まで楽屋でご馳走になりと
午後はそんな風に時間を過ごし、
夜11時ころ学生会館に帰ってから、入学手続きの書類をじっくり読みました。
入学手続きは翌14日と15日で大学に出向いて行わなければならず、
家族が東京に来たり、挨拶に先生のお宅へ伺うなど、予定がびっしりなので
この夜のうちに、書類の内容を理解して、書き込んで提出する書類を作らなくてはなりません。
娘に書かせましたが、書く枚数が多く、そのうち(どうしてお母さんは手づだってくれないの?)
娘の機嫌が悪くなっていきました。お母さんがしてあげるのは簡単ですが、
自分のことは自分でできないと、もう大学生になるのですから。
結局午前3時ころまで書類に向かっていましたが、完成せず寝ることに。
最後まで残っていた大学生協への加入の書類はお母さんが書いてあげることで
決着がつきました。こんなとこでも、まだ親への甘えがあるのだとほくそ笑みながら。